で、刃物といえば連想されるのが徒然草。
建築関係者に徒然草(つれづれぐさ)というと第五十五段の「家の作りやうは、夏をむねとすべし。」がどうしてもアタマによぎることでしょう。
が、今日は別のオハナシです。
徒然草 第二百三十一段ナントナク意味が分かりましたか?
園の別当入道は、さうなき庖丁者なり。或人の許にて、いみじき鯉を出だしたりければ、皆人、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかゞとためらひけるを、別当入道、さる人にて、「この程、百日の鯉を切り侍るを、今日欠き侍るべきにあらず。枉げて申し請けん」とて切られける、いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へりけると、或人、北山太政入道殿に語り申されたりければ、「かやうの事、己れはよにうるさく覚ゆるなり。『切りぬべき人なくは、給べ。切らん』と言ひたらんは、なほよかりなん。何条、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。
大方、振舞ひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、勝りたる事なり。客人の饗応なども、ついでをかしきやうにとりなしたるも、まことによけれども、たゞ、その事となくてとり出でたる、いとよし。人に物を取らせたるも、ついでなくて、「これを奉らん」と云ひたる、まことの志なり。惜しむ由して乞はれんと思ひ、勝負の負けわざにことづけなどしたる、むつかし。
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さて、ここでカンチガイしやすいのが庖丁の意味。
包丁とはこの刃物のことではなく…
語源をたどってみると、庖は調理場。丁は働く人。という意味なんです。
(庖丁=ホウテイという人名という説もありますが…)
なので、冒頭の「別当入道は双無き包丁者」
包丁者とは料理人という意味ですね。ですから「二人と居ない料理人」=料理の鉄人ということでしょう(笑) ちなみに徒然草は「あれこれ飾るよりそのままが良い」というオハナシです。
さて、刃物の日。料理に限らず、様々な場面で刃物は必要ですよね?
物を切る、断つ、削るためには刃物が必要です。作るだけでなく採る時や獲る時にも刃物。そうして出来上がったもので暮らしているはずですよ。
せっかくだから、今日は家で包丁でも研ぎませんか?
せっかくだから、今日は家で包丁でも研ぎませんか?