公害はいつ終わるのか?

2012/12/10

日々雑感

1901年の今日12月10日、田中正造が明治天皇に直訴しました。

何のオハナシかわかりますか?
足尾鉱毒事件です。

私は小学校の道徳の授業で習った記憶があります。
上流にある足尾銅山から鉱毒が流れだし、下流域の人々が公害に苦しんだ事件です。

当時の足尾銅山は国内の1/4以上の銅を産出するほどの鉱山。
そこで出てくる鉱毒も多量のものだったわけです。

そんな公害に苦しんだ下流の一つが「渡良瀬川」。
流域に住んでいない方にとっては対岸の火事ということでしょうが、明治の公害によって昭和の時代には田圃からカドミウム。昨年2011年には農業用水から基準値を越える鉛が検出されているんです。日光を水源とする渡良瀬川は利根川へと流れ込んでいますから、関東に住む多くの方々の水道に混入する危険性がないとは言えないですよね。また、ガスによって枯れてしまった山の木々は未だ回復できていない地域が残るほどです。

公害というものは一度起きてしまうと長きにわたって影響を及ぼし続ける代表的な例だと思います。

さて、渡良瀬川。
私と近い年代の方はピンとくる歌がありますね。

森高千里の渡良瀬橋。
実際にある渡良瀬橋をモデルに作られた歌です。

現地には歌碑もあるんです。




「夕日がきれいな街」の歌詞通りきれいな夕景も見ることができます。

(12/9、八雲神社全焼のニュースがありました。詳細はコチラ)


現在は足尾鉱毒の影響について語られることも少なくなりました。
しかし、我が国で起きた様々な事件や公害、それらは決して風化させてはならないものでしょう。

また、現在の放射能問題…
漆喰の原料素材に関する問い合わせは、依然多いままです。